コンサルティングの歴史と歩み
その時代の中で「企業の成功」を導く
それが私たちの使命
2002年、資産バブルの終焉を迎える国内経済の中、中小企業を巡っては、金融機関からの「貸し渋り・貸しはがし」は、まるで「弱いものイジメ」を象徴するかように横行し、多数の企業は次々と倒産し、経済苦による自殺者も後を絶ちませんでした。
荒野となったその背景には、バブルで膨張した不動産等の不良債権を巡って外資系ファンド、所謂『ハゲタカ』が群をなして日本にやってきました。
日本は身から出た錆である不良債権を企業の倒産とセットでハゲタカにばらまき、不良債権処理は一気に進み、日本企業がバタバタと倒産したのでした。
ハゲタカにとっては日本の不良債権処理は赤子の手を捻るくらい簡単な処理であるのため、我々は企業救済スキームとして「ハゲタカに勝つための、企業が抱えた過去の膨大な負債の損切り」をメインとしたコンサルティングメニューを展開しました。サービサー法(1990年)、民事再生法(2000年)、再生支援協議会(2002年)等の任意整理や法的整理を税理士、弁護士と共に企業再生の支援をしたのです。
当時我々は、経営に苦しむ経営者に対し、税理士の先生方に「顧問先の救済支援」の活動をすべく狼煙を上げ、全国の税理士、弁護士、会計士等の士業を中心に声がけし、2004年「中小企業支援コンサルティング団体」としてNPO首都圏事業支援機構を設立させました。
そのNPO首都圏の設立を機に大阪、名古屋、神奈川、埼玉、広島、福岡のNPOが次々と立ち上がり、現在では全国300人以上の士業を中心とした組織となりました。
小泉政権下、日本経済は金融再生プログラム(2002年)の発動により、銀行の不良債権の格付けの厳格化を一気に図り、地方銀行やメガバンクの破綻、合併を一通り終え、バブルの膿出しを図った時代でした。
しかしその後2009年、アメリカ発リーマンショックが日本経済にも波及し、企業は次々と倒産に追い込まれました。
数多くの上場企業も金策に困り果て、倒産寸前に追い込まれました。我々は特に「第三者割当増資」にて国内、海外からの資金調達を導き、倒産回避に寄与しました。
その他、中小企業の後継者不足による事業承継や不採算事業のビジネスマッチング等によるM&Aを成立させてまいりました。
また当時、政府はモラトリアム法「金融円滑化法(2009年)」を成立させました年でもあり、我々は経営者の事業改善計画(実抜計画、合実計画)を支援し、所謂リスケジュール(返済猶予)を図りながら、企業の抜本的な改善計画を作成の下、救済にあたります。
しかしながら、本法律は2年間の時限立法にも関わらず、10年以上もの間、法的根拠を持たないままダラダラと進んきました。
我々のようなコンサルティングによる「実現可能な抜本的改善を図る計画」ではない、所謂「単なるリスケ」は、経営者側と金融機関側が真剣に考え抜く力を放棄し、何もせずに無駄な時間をお互いが10年間過ごした企業と金融機関は数多く存在するのではないでしょうか。
そして2020年コロナウィルスの襲撃。
さて、日本経済はアフターコロナでどのような時代を迎えるのでしょうか。
経営者は孤独であり、経営判断は日々迷い、変化します。将来予測は非常に困難ですが、前向きであれば判断材料は手元に知り得ることができます。
経営判断に迷いや間違えが生じたら、我々に相談してみてください。
何となく今が良ければそれで良しとするその場しのぎの経営ではなく、従業員や取引先、そして家族等の周辺の大事な人々を幸せにさせれるような将来を見据えた経営を実現しませんか。
我々は貴社に対し必ず「ベネフィット」を生み出すことをお約束いたします。